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「金(キム)の戦争」寸又峡温泉立て篭り事件(1):事件

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南アルプス辺りのエリアってのは、ある種独特の雰囲気に満ちている。日本第二位の高峰「北岳」を擁する地域でありながら、富士山とか3000m級の山々が連なる北アルプスエリアとかのように、垢抜けたリゾート感なんぞは微塵もない。二度と帰れなくなるのではないかと不安を憶える程に人里の気配から遠く離れ、深山幽谷の中に身を置けば魔境と呼ぶのが相応しい気分にさせられる。

その南アルプスの太平洋側の端に、寸又峡温泉がある。静岡県にありながら昔は静岡県民でさえ殆ど知る者がいなかったという、秘境だ。昭和43年の二月、ここで全国を巻き込む報道合戦が繰り広げられたひとつの事件が起こった。

事件の背景

事件を起こしたのは金嬉老(キム ヒロ)。在日朝鮮人の両親を持つ日本生まれの在日二世である。金嬉老は昭和3年、静岡県清水市に生まれた。当時から民族差別は酷く、大戦後にもそれは変わる事がない。そんな環境の中で金嬉老の生活は荒れ、刑務所に出たり入ったりを繰り返すことになる。

昭和34年に金嬉老は一度結婚して店も持ち、安定した生活を送りかけたが後に離婚、すぐに内縁の妻ができたが二年ほどで外に子供を作りこれも破局。その後キャバレーのホステスといい仲になって金を注ぎ込むようになる。この時の借用証書がやくざの手に渡った。

事件のきっかけ

事件の前年、路上で在日朝鮮人と暴力団とのいざこざにたまたま金嬉老が行き合った。この時に喧嘩を静止していた清水署の刑事の口から「てめえら朝鮮人は朝鮮に帰れ!」という言葉が発せられた。これを聞き咎めた金嬉老と刑事との言い合いに発展、金嬉老は深く根に持つことになった。

一方でやくざからの借金の取り立ては厳しくなり、自動車による代物返済によって返済したがなぜか借りもないのに新しく38万円の借用書を書いてしまう。結局執拗な取り立てから逃れるために金嬉老はホステスの実家がある十和田市に身を隠すことになる。ところが、どこからバレたのか昭和43年二月の初め、隠居にまで催促状が届いたのである。激昂型の金嬉老はそれを見て、ひと足飛びにこのやくざを殺すという考えに至った。暴言を吐いた刑事への復讐と合わせて一挙に殺ってしまおうと、ライフルとダイナマイトを手に入れて、金嬉老は清水市に舞い戻った。

事件

清水市に戻った金嬉老は懇意にしていた刑事に会いに行ったりとか、殺人を迷っているような行動が見られる。取り立てのやくざとも最初は話し合いから始めた。

「てめえら朝公がちょうたれたことをこくな」

やくざのこの一言で、金嬉老の決意は固まった。路上に停めていた車からライフルを取ると、話し合いの場に戻り六発の銃弾をやくざに浴びせた。この時、やくざに付いて隣にいた暴力団準構成員である十九歳の少年も殺害している。

その足で清水署に乗り込んで暴言を吐いた刑事に復讐を果たすつもりだったが、車が渋滞していて諦めた。

昭和43年2月20日

金嬉老は自殺するつもりだった。レンタカーの向きを変えたのは寸又峡方面。金嬉老が寸又峡に向かっている夜九時頃には、テレビのニュースに殺人事件の一報が流された。

二時間ほど悪路を走った後に寸又峡温泉に着いた金嬉老は、ふじみや旅館に侵入し宿泊客と旅館の主人を起こした。「清水で二人殺してきた。警察とかけあうから静かにしていてくれ。」

こうして日本の歴史に名を残す前代未聞の劇場型事件が始まった。

【最寄りの道の駅】

奥大井音戯の郷

コンビニやレストランの類いは殆ど無いので、食事は計画的に。でもたまたま途中に一軒ぽつんとあった食事何処は意外においしかったですよ。

2008年3月 9日