思い立ったら即出発。予約も時間も気にせず行動。予定に追われず気の向くままのスローライフ。P泊テクニックと車旅行情報。

車中泊EXPRESS

車さえあればどこでもマイカーstay。車中泊旅行総合情報

マインランド尾去沢:ノスタルジー

多くの鉱山が閉山後、朽ちるに任せられているのと対照的に、レジャーランドへの転身を図った例のひとつが尾去沢鉱山だ。子供も楽しめる観光施設の裏側には、日本で最も美しいと言われる遺構が今も残されている。

尾去沢鉱山の歴史は古く、奈良時代の和銅元年に発見されたとの伝説が残る。光る怪鳥が導いた説、老婆の献上した山芋に付いた砂金に役人が気づいた説、その他様々な伝説に彩られ、この土地の持つ神秘性を感じさせるものだ。記録に残る開山は、南部藩士・北十左衛門が白根金山を発見、慶長4年(1599年)に尾去沢を開発したとなっている。ちょうど、関ヶ原の戦い(1600年)があった時代である。

尾去沢の産出物は主に銅。古くから日本を代表する鉱山であったが、産出量を急速に増やすのは江戸幕府から明治政府に移る激動の時代から。他の鉱山でも一様にそうであったように、開鑿設備の近代化と時代の要請により著しい発展を遂げることになる。


尾去沢は秋田県北部、大館の南、鹿角にある。八幡平や白神山地などの東北を代表する山塊に挟まれた、米代川の流域だ。マインランド尾去沢に向かって車を走らせると、山にへばりつくように残る荘厳な遺構がまず現れる。交通量も殆どなく、ここにレジャーランドがあるように感じられないが、鉱山跡を過ぎるとすぐ大きな駐車場、そしてようやくレジャーランドらしいマインランド尾去沢の施設が姿を表す。

シューティングアドベンチャーや立体映像シアターなど、子供を楽しませる施設もあるのだが、やはり坑好きならば「鉱山歴史の坑道」に入らねば意味がない。というか、それに入らないならそこいらの遊園地にでも行った方がよほど楽しめるだろう。坑道だけなら観覧券ひとり900円となる。少々お高い気もするが...。

800Kmにおよぶ坑道のうち、見学できるのは1.1Kmほどでしかないが、それでもスケールの大きさは堪能できる。坑道の中には酒蔵や奉行所まで存在し、当時の坑夫達の生活を垣間見るのも楽しい。本当のことを言うと自分は閉所が苦手だったりするのだが、狭い坑道の奥深く潜り込み、いつ崩れて圧死するやもしれぬ中でノミをふるうなど想像し、存分に恐怖を味わった。全国各地に素手で穿たれたトンネルは多くあるが、見るたびに昔の人ってスゲー!と感嘆する。


尾去沢鉱山が三菱合資会社の経営に代わる明治26年前後、栃木県の足尾銅山で足尾鉱毒事件が起きている。精錬時に発生する亜硫酸ガスにより自然破壊が進み、土地の崩壊を引き起こした事件だ。東アジア一と言われる、名実ともに日本一の鉱山であったためその被害も大規模であり、木を失った土地は現在でも崩壊を続けている。また、この事件は日本の公害の原点とも言われている。同じ銅山である尾去沢でも同様の鉱毒問題があった筈だが、顕著な被害の資料は見つからなかった。

昭和50年に起きた銅値の急落により、三年後の1978年、尾去沢は1270年の歴史を閉じることになる。なお、前述の足尾銅山は1973年に閉山され、閉山後も精錬事業を続けながら、1977年に温泉開発、1980年には足尾銅山観光が発足し、いち早く観光事業への転換を図っている。この動向は尾去沢はもちろん各地の鉱山にも影響を与えた。閉山から4年後の1982年4月25日、地域の観光振興という重責を担いながら、鉱山の旧坑を利用した「マインランド尾去沢」がオープンしたのである。


マインランド尾去沢の裏に残る遺構は、立ち入り禁止なので遠目に眺めることしかできない。しかし離れて全貌を見渡すだけでも、その重厚な美しさの一片に触れ、壮麗さが胸に響くことだろう。とはいうものの、あまりの魅力に引き寄せられてついふらふらと立ち入ってしまったのではあるが。これだから、写真好きな奴のマナーが云々と批判が出てしまうんだな。渓流を荒らす釣り人のことを好きではないが、これではとても他人のことは言えない...。反省。

→マインランド尾去沢

【GPS】

WGS84 N40'10'59.6 E140'45'07.3

【道の駅】

道の駅かづの

2006年4月11日