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碓氷第三橋梁「めがね橋」:ノスタルジー

長野新幹線の開通により、なくなったものもある。JR信越本線の横川〜軽井沢間、かつて碓氷線と呼ばれていた区間もそのひとつだ。

横川から軽井沢までを結ぶ碓氷峠は、直線距離僅か7.4キロでありながら、標高差553メートルという、急峻な地形にある。明治17年に本格的な測量を開始してから、その急勾配のため鉄道ルートの選定に数々の紆余曲折を経て、費用の関係からドイツのハルト山鉄道のアプト式を採用、短い距離で峠を貫く山岳鉄道となるルートが決定された。


現在では、横川駅の隣に「鉄道文化村」ができ、「鉄道文化村」から碓氷第三橋梁までの区間を、「アプトの道」ハイキングコースとして公開されている。また、「鉄道文化村」からおよそ2.6キロ、碓氷第三橋梁までのアプトの道中間地点に、「峠の湯」という入浴施設ができ、土、日、祝、夏休み期間のみ、「鉄道文化村」からトロッコ列車が運行されている。

横川に行くと何故か食わずにおれない、「おぎのや」の峠の釜飯。横川駅での機関車接続待ち時間を利用して販売、人気を博した駅弁だ。碓氷線の廃止に伴い存続が危ぶまれたが、今では国道18号沿いのドライブインとして営業を続けている。

アプトの道遊歩道の見どころは、横川から2キロ地点にある旧丸山変電所。レンガ造りの重厚な建物だ。そして峠の湯から碓氷第三橋梁まで続く旧線区間。レンガで造られた美しいアーチを描く、5つの隧道を経て碓氷第三橋梁に辿り着く。碓氷第三橋梁は通称「めがね橋」と呼ばれ、渓谷を跨ぐ巨大なレンガのアーチ橋は圧巻である。これらの全ては国重要文化財に指定されている。碓氷第三橋梁から先の軽井沢までの区間は、立ち入り禁止となっている。


アプト式とは、碓氷線開業の7年程前にローマン・アプトによって特許を取られたばかりのまだ新しい方式で、ラックレールとピニオンギヤを位相をずらして設置する方式。ギヤによる登攀となるラック式の発展型だ。今現在日本で稼働しているアプト式鉄道は、南アルプスの大井川鉄道井川線ただひとつのみとなっている。

明治26年に碓氷線は開業するが、それは多難の開業となった。開業以来碓氷線は、数多くの事故・トラブルを経験することとなる。

開業当初、機関車は蒸気機関であった。急峻な路線、いくつもの隧道を経る行程に、吐き出された大量の煤煙により、失神してしまう乗務員まで出たそうである。排煙対策のために各トンネルには排煙幕が設置され、20ヵ所あるトンネルそれぞれに排煙幕を引く隧道番が常駐した。隧道番は隧道口に家族と共に住んでいたそうだ。幕引き作業は突風による危険も大きく、多くの殉職者をだしたそうである。

急峻な地形ゆえ、ブレーキ故障による列車暴走、機関車故障による列車退行事故も起った。碓氷線の営業を支えたのは、鉄道員達の並外れた情熱というか、鉄道屋魂だと言って過言ではないだろう。

明治45年より機関車は電化され、煤煙の苦難はなくなったものの、退行や暴走、脱線事故は続いた。

戦後間もなく、碓氷線史上最大の災害が発生。昭和25年6月8日、熊ノ平駅構内の第10号トンネル出口で約3,000立方メートルにおよぶ土砂崩れが発生、線路が埋没した。さらに翌9日、追い討ちをかけるように7,000立方メートルに及ぶ大規模な土砂崩れが発生し、復旧作業中の職員と、宿舎にいた家族を宿舎ごと飲み込んでしまった。50名が死亡、24名が重軽傷を負う惨事となった。熊ノ平駅には、赤子を抱きしめたまま絶命し土砂の中から発見された母親を模した母子像が建立されている。なお、熊ノ平駅はめがね橋より軽井沢寄りの区間にあり、一般立ち入り禁止となっている。

昭和38年、粘着式の新線が開通し、アプト式路線は廃止された。この新線でも、暴走事故は起っている。

話は逸れるが、峠の釜飯で有名な「おぎのや」の開業は明治18年。碓氷線では急峻な峠越えのために機関車は一両では足らず、横川駅で列車後部にもう一両機関車を接続し、前後で挟んだ二両の機関車によって客車を引き上げていた。機関車接続作業のため、横川駅では停車時間が長くなっている。この待ち時間が、ちょうど峠の釜飯を買うのに適していた。その光景は、現代の時間に追われた旅行と違い、「旅」の情緒満点であっただろうと想像できる。

新線開通後には高度経済成長が日本列島を覆い、輸送力の増強が急務となった。昭和46年に碓氷バイパスの完成。上信越自動車道もこの頃に計画された。碓氷線でも輸送量の増強をはかり、機関車の能力向上がなされた。しかし、鉄道輸送から自動車輸送に主軸が移り始めるのもこの頃からである。

上信越自動車道は計画当初の予定より着工が大幅に遅れたが、長野オリンピック開催を機に工事が急ピッチで進められ、平成5年3月に開通した。そして、長野新幹線の計画も、オリンピックに合わせて急ピッチで工事が進められた。

平成9年10月1日、長野新幹線が開通。華やかにオープニングセレモニーが行われた。

その前日、平成9年9月30日、1万数千人もの人が碓氷峠に集まった。碓氷線最後の日に、全国から鉄道ファンが駆けつけたのだ。上り列車21:35横川駅着。下り列車22:45、横川駅を発車。これにて碓氷線旅客運行が終了。その後23:55に回送列車が横川駅に到着し、全ての運行が終了、碓氷線の長い歴史が静かに幕を下ろした。

【GPS】

WGS84 N36'21'28.9 E138'41'54.2

【道の駅】

道の駅みょうぎ

【周辺観光情報】

碓氷峠鉄道文化村アンデルセン牧場。最近では、軽井沢のアウトレットショッピングモールが人気らしい。

2006年2月24日