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捨てられた雲上の楽園・松尾鉱山:ノスタルジー

かつて雲上の理想郷と呼ばれ、栄華を誇った一大都市があった。打ち捨てられ住む者の無くなった今も、すぐ傍で温泉・スキーの観光客が賑わいを見せる中、隠れるようにひっそりと時代の変遷を見下ろし続けている。

東洋一の硫黄鉱山と謳われた松尾鉱山が誕生したのは、大正の始め頃。以来、順風満帆の発展を続け、鉄筋コンクリート造り完全暖房のアパート群、総合病院、劇場が建ち、最盛期には1万5千人以上がそこで暮らしていた。国内でも最先端の近代都市が、標高1,000メートルの山上に出現したのだ。


薄く積もった雪を踏みながら山上に向かって車を走らせると、やがて冬季閉鎖の車止めに突き当たる。ここより上の温泉は、冬のおよそ半年間、雪に閉ざされ眠りについているのだ。車止めの手前は、スキー場があるために広い駐車場になっている。まだスキー場はオープンしていないが、準備に慌ただしく働く業者の姿がちらほら見られる。

駐車場でUターンし今来た道を少し引き返すと、登りではスノーシェードに隠れて見えなかったその姿が、重く爛れ落ちようとしている暗い雲を背に、ひんやりとそびえていることに気づく。それが、松尾鉱山のアパート群であった。

引き寄せられるように近づいてみると、汚れ、痛んだ物言わぬコンクリートの建造物に、冷ややかに無視されているような、寂寞とした空虚さを感じた。黒くぽっかりと口を開けた窓は、まるで底知れぬ闇を建物の中に抱えこんでいるようだ。1階の窓から中を覗き込んでみると、腐った床に所々穴が空いた、がらんとした部屋が見えた。生活の痕跡はどこにもなく、できた時から既に廃墟だったように感じられる。

扉のない入口から中に入ってみる。終点がないように一直線に延びる廊下。欠け落ちたコンクリートが散乱し、戦争で焼け尽くされた廃墟のような、荒れ果てた姿を晒している。二階へ上がる階段もあったが、踏み荒らすことは憚られる気がして、それ以上奥へ進むことはやめた。


安い国外輸入の硫黄や回収硫黄の出現により、昭和44年、松尾鉱山は半世紀の歴史の幕を閉じた。しかし、それからが、汚染との戦いの始まりだったのだ。

雨や雪解け水が坑道を洗い、強酸性の毒水が北上川に流れ込んだ。大量の鉱毒水は、北上川を魚の住めない赤茶けた死の川に変えてしまった。今の姿からは想像もできないが、元の自然に戻すため中和処理施設の建設に100億円近くを使い、さらに現在まで毎年6億円以上が費やされているそうだ。北上川の水質を維持するためには、斬新な新技術が出てこない限りはこれを半永久的に続けるしかないという。

ほんの一時の繁栄のために、失われたものはあまりにも大きい。いつか己の仕業を清算し終える日まで、我々は子供、孫へ渡り負債を支払い続けるしかないのだ。

雪が強く、横殴りに吹きつけ始めた。建物に当たって渦を巻き、空虚な窓に吸い込まれて行く。ここもやがて雪に埋もれる。静寂に包まれた無人のアパート群は、たまに酔狂で訪れる人間を受け入れも拒みもせず、これから先何年も、同じようにここにあり続けるのだろう。暗鬱になりがちな気持ちをそこに残し松尾鉱山を後にすると、薄く雪を被った八幡平の山々と平野が視界に入った。すれ違う車が、人の活動を思い出させる。

冷えきった手がかじかんでいる。さて、温泉でも入って帰るか。

比較的しっかりした建物だが廃墟は廃墟、危険があるので建物内へは入らない方がいい。外から眺めるだけでも、充分迫力を感じられる。

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2005年12月12日