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慰霊の森:事件

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これほどの事故を、忘れてはならないのだと思う。そして、安全への意識、監視の目を弱めることのないよう、将来に渡ってずっとずっと語り継ぐべき事件ではないだろうか。

岩手県雫石町、御所湖沿いの道路に、そこへの入口がある。この地に、犠牲者162名の魂が眠っている。

1971年(昭和46年)7月30日14時2分、全日空札幌発東京行ボーイング727型機が雫石上空8500m付近を飛行中、編隊飛行訓練中の航空自衛隊F-86F戦闘機と衝突、墜落し、乗員乗客合わせて162名全員が死亡した。自衛隊機の操縦士は落下傘で脱出、無事だった。当時、世界最大の航空機事故となった、全日空機雫石墜落事故である。

原因は、自衛隊機が民間航路の保護空域を侵犯したとされ、自衛隊側の過失が認められた。しかし、事故より10年後、民間機側がルートから12キロ外れていたという証拠が出ている。だが、民間航路は空間の広大さに比べれば針の穴に通す糸のようなラインでしかない。しかも、全日空側は16キロ幅の安全空域を主張したが、国側は、航路はラインであり幅はないと主張している。いずれにせよ、狭い日本の上空を、民間航路と自衛隊訓練空域がせめぎ合っている状況には間違いない。

私見になるが、事故においては誰の過失かということよりも、システム上の欠陥を追求すべきだと考える。ミスを犯さない人間なんていない。しかし、この事故を教訓にして航空法が改正されたのは、事故から4年も経った後のことだ。そもそも、事故が起る以前から、ニアミス事故も増加していたそうで、航空需要の急激な増加により、すでにシステムが破綻していたと言えるだろう。

慰霊の森の丘の上に立ち風景を眺めると、この地で惨事があったことなど嘘のように思える。近くには鴬宿温泉、繋温泉、そして小岩井農場があり、今日も観光客たちがそれぞれの人生を楽しんでいる。雫石スキー場では、冬入りの準備で忙しいだろう。航空航路の高度を考えると、市街地は目と鼻の先、少しでも墜落地点がずれたなら、と考えると薄ら寒い恐怖を感じる。

事故の教訓は生かされたのか?

雫石事故より14年後、今より20年前の夏、御巣鷹に日航機が墜ちた。世界最大の犠牲者、雫石の3倍以上である。世界第2位の中華航空機事故に比べても、2倍近くの犠牲者だ。ちなみに、雫石は第3位である。

航空機だけではない、船舶でも日本は世界第2位の犠牲者を出した事故が起きている。そして記憶に新しい所では、尼崎JR脱線事故。茨城では危うく第2のチェルノブイリになりかけた原発事故。これでは、極東アジアの人命軽視の国と見られても仕方がない。そんな国であることが、とても恥ずかしい。

慰霊碑には、新しい菊が添えられていた。34年経った今も、遺族にとっては癒えない事故の記憶であろう。慰霊の森の最奥まで行ってみると、航空安全祈念の塔がある。最近の事故や事故になりかけた事件を考えると、安全祈念の文字もどこか虚しい。

全日空では、事故機の残骸を永久保存し、社員教育にも利用しているそうだ。御巣鷹事故では期限が来たら資料を破棄することを明言し、実際に破棄してしまった日航に比べて、まだ救いがある。できれば大きな事故は、10年とかのスパンで何度も再検証し直してもいいくらいだと思う。

 

慰霊の森は心霊スポットとしても有名であり、肝試しに訪問する人間も多いようだが、その行為は感心できるものではない。だがまあ、きっかけはどうであれ、そこに行ったのなら少なくとも碑に刻まれた事故の概要くらいは読んで欲しい。そして、かつてあった事故を記憶し、なにかしら考える動機になるならば、行った意味もあるだろう。

【道の駅情報】

国道46号、赤渕駅付近に、道の駅 雫石あねっこ

2005年11月23日