2007年3月26日
奥多摩ロープウエイ
東京都の水瓶、奥多摩湖の着工は昭和13年にまで遡る。第二次世界大戦前であり、東京都はまだ東京府という行政区画だった。その後19年の歳月をかけ、竣工は昭和32年。当時、水道貯水池としては世界最大規模を誇る。
奥多摩ロープウエイ、正式名称「川野ロープウエイ」は、戦後の高度経済成長を背景に昭和37年、湖上遊覧等を目的として営業を開始した。
16:18
2006年8月25日
岐阜県某所-廃ボーリング場
岐阜県の某国道沿いにある廃ボーリング場。雪の白川郷観光のついでに、せっかく岐阜県まで来たのだからと興味本位に寄ってみた。
いつからいつまで営業していたのか、廃業になった経緯などの情報はまったくない。まあ、バブルの頃に繁盛して、後の不景気の波に飲み込まれただろうことは想像できる。
03:12
2006年4月11日
マインランド尾去沢
多くの鉱山が閉山後、朽ちるに任せられているのと対照的に、レジャーランドへの転身を図った例のひとつが尾去沢鉱山だ。子供も楽しめる観光施設の裏側には、日本で最も美しいと言われる遺構が今も残されている。
尾去沢鉱山の歴史は古く、奈良時代の和銅元年に発見されたとの伝説が残る。光る怪鳥が導いた説、老婆の献上した山芋に付いた砂金に役人が気づいた説、その他様々な伝説に彩られ、この土地の持つ神秘性を感じさせるものだ。記録に残る開山は、南部藩士・北十左衛門が白根金山を発見、慶長4年(1599年)に尾去沢を開発したとなっている。ちょうど、関ヶ原の戦い(1600年)があった時代である。
14:16
2006年2月24日
碓氷第三橋梁「めがね橋」
長野新幹線の開通により、なくなったものもある。JR信越本線の横川〜軽井沢間、かつて碓氷線と呼ばれていた区間もそのひとつだ。
横川から軽井沢までを結ぶ碓氷峠は、直線距離僅か7.4キロでありながら、標高差553メートルという、急峻な地形にある。明治17年に本格的な測量を開始してから、その急勾配のため鉄道ルートの選定に数々の紆余曲折を経て、費用の関係からドイツのハルト山鉄道のアプト式を採用、短い距離で峠を貫く山岳鉄道となるルートが決定された。
15:43
2006年1月 6日
倉沢村、消失
時刻は既に午後3時を過ぎていた。
冬の陽は短い。もういくらも経たないうちに、写真を撮ることは不可能な明るさになってしまうだろう。焦る気持ちに急かされ、崖にへばりつく急な階段を駆け上がった。すぐに心臓がバクバク激しく打ち始める。
ここは奥多摩、日原鍾乳洞へ向かう道の途中、東京都指定天然記念物でもある「倉沢の檜」への遊歩道だ。遊歩道と言うにはあまりにも手入れが行き届いていない。厚く積もった枯れ葉に足首まで埋まり、思うように足が進まない。「倉沢の檜」のさらに先には、倉沢村がある...筈だった...。
14:35
2005年12月12日
捨てられた雲上の楽園・松尾鉱山
かつて雲上の理想郷と呼ばれ、栄華を誇った一大都市があった。打ち捨てられ住む者の無くなった今も、すぐ傍で温泉・スキーの観光客が賑わいを見せる中、隠れるようにひっそりと時代の変遷を見下ろし続けている。
東洋一の硫黄鉱山と謳われた松尾鉱山が誕生したのは、大正の始め頃。以来、順風満帆の発展を続け、鉄筋コンクリート造り完全暖房のアパート群、総合病院、劇場が建ち、最盛期には1万5千人以上がそこで暮らしていた。国内でも最先端の近代都市が、標高1,000メートルの山上に出現したのだ。
09:20
2005年11月25日
秋乃宮博物館
秋田県の最南端、栗駒山系の山中にひっそりとたたずんでいる秋の宮温泉郷。温泉宿が約十軒ほどの温泉郷だ。
国道108号を逸れ、役内川に向かって進んで行くと、木々に囲まれた秋乃宮博物館が見えてくる。秋乃宮博物館の門をくぐった所から早速、めくるめくノスタルジックワールドが始まった。
13:37
2005年11月10日
日窒鉱山
廃墟マニア、及びサンデーカメラマンには有名な日窒鉱山。奥秩父のさらに奥、埼玉県と群馬県の県境近くに日窒鉱山はある。廃墟マニアに有名とは言っても、ここは現在も稼働中の鉱山である。
アプローチは、秩父市大滝を中津川に沿って延びる国道140号から、大峰トンネル手前で中津峡に入り、県境を目指して雁掛トンネルを抜けると見えてくる。かつては気合いを入れないと危なかった中津峡沿いの道路も、ダム建設の影響か幅が広く走りやすくなっていた。もうひとつは、北側の小鹿野町を国道299号で抜け、県境である志賀坂トンネル手前で南に進路をとり、八丁隧道を抜けてくるコースだが、こちらの道はかなり狭くくねっているのであまりオススメできない。実際には北側の八丁隧道を通り中津峡を抜け、秩父に至り帰路につくコースをとったのだが、説明は逆から始めることにする。
12:18








